自分なりのコトバ
考えに考えて、その結果、自然と身についた自分なりのコトバを持っている人は大変素敵だと感じる。
大学院の授業で、「現代幸福論」 に登壇されていた、Prem Rawat氏が、『人は一日一日「予算」を持っている』というコトバを使っていて、とても素敵だと感じた。
鎌倉投信の新井さんも、『リターンの定義を変える』として、『リターン=資産の形成×社会の形成×心の形成=幸せ』から、ロジカルに企業における指針を変えられようとしている。
自分は、果たしてどんなコトバを作ることができるのか。
センスや直感ではなく、向き合ったからこそ産めるコトバがあるはずだ。
先日、とある尊敬する方(自宅が大変近い、N園のKさん)と飲んだ時に、
『お前の「スポーツ」の定義を押しつけるのではなく、相手に考えさせる「余韻」をあけろ』と言われてハッとした。
これは、「、」や「。」の位置や、韻が素晴らしい以上に、相手に考えさせる『隙』があるのが素晴らしい、とのこと。
枯山水だって、誰もが同じ色の水や山を想像していない。だからこそ、普遍的な美が存在する。
この
も、一人一人が違う京都、もしかしたら全く違うものを想像しているかもしれない。だから、凄い。
コトバってのは、ストレートに伝える力もある一方で、相手に本当に考えさせるコトが出来る力を持っている。
僕も、そんなコトバを持てるようになりたい。